明治後期から昭和初期にかけて建築設計を数多く手がけ、「関西建築界の父」と称された建築家・武田五一(ごいち)。太平洋戦争の被害から免れた京都には、五一が携わった建築物が多く残されている。
京都帝国大学に工学部建築学科を創設し、初代教授を務めた五一は、自らその建物を設計した。現在、京都大学吉田キャンパスの総合研究15号館となっている建物は、建築学教室本館として1922年に竣工。それまでは木造やれんが造だったが、初めて鉄筋コンクリートで造られた。また大学のシンボルでもある時計台は1925年に完成。高さ31メートル、鉄筋コンクリート造の2階建てで、当時は法経学部の講義施設、近年は本部事務局だった。2003年に創立100周年記念事業の一環として五一の意匠を損なうことなく、耐震性を備えた「百周年時計台記念館」に改修。大小の会議場や展示室、フレンチレストラン、コーヒーショップなどが入り、一般にも開かれた施設となった。時計台は現役で、時計塔の北側面に付く鐘は現在も朝・昼・晩と鳴り響く。
京都のモダン建築で代表的なのが京都市役所だ。現在の本庁舎東館は、五一の教え子で市の嘱託職員だった中野進一が設計、五一が監修にあたった。左右対称の構成で、均整がとれた美しさはネオ・バロック的だが、細部のモチーフに中国やインドなど東洋的な意匠を用いた中野独自の装飾が特徴的だ。
花街・先斗町(ぽんとちょう)のシンボル、先斗町歌舞練場は1927年に建設。劇場建築の名手といわれた大林組の技師、木村得三郎が設計し、五一が顧問として参加した。中でも装飾陶板やボーダータイルを用いたなまこ壁のような意匠は、「東洋趣味を加味した近代建築」と評された。
京都市役所の北にある「フォーチュンガーデン京都」は島津製作所の旧社屋で、1927年、五一が設計顧問にあたり、教え子で助手の建築家・荒川義夫が設計した。2012年にレストランやウエディング会場として改修されたが、アーチ形の正面玄関や丸い窓ガラスなどは当時のままだ。
五一が建築家としてピークを迎えた55歳のとき、毎日新聞京都支局ビルの社屋を設計した。新聞社の移転に伴い、現在は「1928ビル」として文化拠点施設となっているが、館内は往時の面影を残すアール・デコ調の内装が広がる。またユニークな星形の窓やバルコニーは新聞社の社章をモチーフにしているといわれ、ひときわ目を引く。京都市登録有形文化財に指定されている。
製作著作:KBS京都 / BS11
【放送時間】
京都浪漫 悠久の物語
「京都モダン建築 謎解きの旅~建築界の先駆者・武田五一の足跡を辿る~」
2025年7月21日(月・祝) よる8時~8時53分
BS11(イレブン)にて放送