ここからしか見えない京都
  

琵琶湖疎水の流れに乗り、名刹の旅へ

京都らしい景観の一つが、歴史ある街並みにたおやかに流れる琵琶湖疎水だ。明治期に竣工した人工運河で、第1疎水は滋賀県大津市から京都市伏見区までの全長約20㌔を結ぶ。この疎水の完成によって舟運が盛んになり、京都の経済や産業が発展。さらに遊覧船が行き交う名所となり、多くの観光客を魅了した。戦後まもなく舟運は途絶えたが、2018年(平成30年)に「びわ湖疏水船」として観光船が復活した。その乗下船場近くにあり、琵琶湖疎水が境内に流れるのが、日本屈指の格式を誇る南禅寺だ。

本尊釈迦如来を祀る南禅寺の法堂(はっとう)。背後には大方丈があり、狩野派絵師による障壁画が見もの

1291年(正応4年)亀山法皇の離宮を下賜され、無関普門(むかんふもん)(大明国師)が開山。室町時代には3代将軍足利義満によって、寺格を定める「()山之上(ざんのじょう」に昇格され隆盛を誇った。境内には一直線に並ぶ勅使門、三門(重文)、法堂、方丈(国宝)のほか、周辺に12の塔頭が並ぶ。なかでも三門は歌舞伎「楼門(さんもん)五三(ごさんの)(きり)」で、石川五右衛門の「絶景かな、絶景かな」の名台詞で知られる。現在の三門は、1628年(寛永5年)に藤堂高虎が寄進したものだ。また小堀遠州作と伝わる大方丈の前庭「虎の子渡し」や、小方丈の狩野派絵師による襖絵の「(ぐん)()図」など、見どころも多い。さらに境内の水路閣は、1888年(明治21年)に造成された琵琶湖疎水の水路橋で、赤レンガのモダンなアーチ型橋脚が深閑とした境内にしっくりと溶け込んでいる。

小方丈の「虎の間」では、狩野探幽作と伝わる襖絵「水吞の虎」が見もの

一方、滋賀県側の乗下船場近くにあるのが三井寺こと園城寺(おんじょうじ)。源平の争乱や南北朝の争乱による焼き討ちに遭いながら、幾度となく再興していることから「不死鳥の寺」と呼ばれる。琵琶湖南西の長等山中腹にある広大な敷地には、金堂や光浄院客殿、新羅善神堂などの国宝伽藍をはじめ、絵画、彫刻、工芸など多くの文化財が残されている。

飛鳥時代創建と伝わる三井寺。天智・天武・持統天皇の産湯に用いた井戸があることから「御井の寺」と呼ばれ、後に三井寺となったという

この春、ゆったりと船に揺られ、琵琶湖疎水の旅を楽しんでみたい。

【放送時間】
京都浪漫 悠久の物語
「琵琶湖疏水の旅~南禅寺から三井寺へ」
2022年5月2日(月) よる8時~8時53分
BS11(イレブン)にて放送

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