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戦国武将ゆかりの大徳寺塔頭寺院を巡る

洛北・紫野にある大徳寺は、この寺で禅の修行に励んだ珠光が、「わび茶」の開祖となって以来、茶の湯の聖地とされてきた。その後、豊臣秀吉や茶の湯をたしなむ大名との繋がりが深まり、塔頭寺院が次々と創建された。ほとんどは通常非公開だが、塔頭寺院のうち3カ寺が今年「春の特別公開」を行う。

総門に入り、正面に見えるのが興臨院。能登の守護、畠山(よし)(ふさ)によって創建されたが、畠山家衰退後、豊臣政権の五大老の一人、前田利家が本堂屋根の修復を行い、以後前田家の菩提寺とした。本堂(重文)や唐門は、室町期の建築様式を残す。「昭和の小堀遠州」と称される作庭家、中根金作が復元した方丈庭園は、理想の蓬莱世界を表しているという。

興臨院の本堂は室町期らしい優美な姿が特徴。禅宗の建築美を残す唐門や、禅宗思想を伝える庭園が見どころ

秀吉が織田信長の菩提寺として創建したのが総見院だ。本堂に安置されている「木造織田信長公坐像」(重文)は、秀吉が信長の一周忌法要に合わせ、仏師・康清に彫らせたもの。高さ約115センチの衣冠束帯姿で、眼光鋭い表情が印象的だ。秀吉は本能寺で信長の遺体が見つからなかったことから、このとき木像を2体造らせ、1体を荼毘に付して、もう1体を総見院に奉納したという。境内には信長や正室・濃姫など、織田一族の墓碑が立つ。趣きが異なる3つの茶室は、特別公開で内部を見学することができる。さらに春には、秀吉がこよなく愛したという「侘助椿」が境内に彩を添える。

総見院の本堂に安置される「木造織田信長公坐像」。信長最晩年の面影を表わしたその出来ばえには、秀吉も大満足だったという

黄梅院は、織田信長が初めて上洛した際に、父・信秀の追善菩提のために小庵「黄梅庵」を建立したことに始まる。信長の死後、秀吉が増築し、現在の寺号に改めた。五大老の一人、小早川隆景が普請(ふしん)奉行として援助し、本家である毛利家の菩提寺とした。鐘楼の釣鐘は加藤清正が寄進、秀吉の馬印「瓢箪(ひょうたん)」をかたどった「(じき)中庭(ちゅうてい)」は千利休の作と伝わる。

黄梅院では、桃山時代の絵師・雲谷等顔(うんこくとうがん)の障壁画(複製)も公開する。モミジの名所として知られ、晩春から初夏にかけての青モミジが美しい

戦国武将や大名ゆかりの大徳寺塔頭寺院をめぐり、ロマンあふれる歴史の世界にひたってみたい。

制作著作:KBS京都 / BS11

【放送時間】
京都浪漫 悠久の物語
「大徳寺の塔頭寺院を巡る~興臨院・総見院・黄梅院~」
2023年3月13日(月) よる8時~8時53分
BS11(イレブン)にて放送

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