ここからしか見えない京都
  

嵐山から吉野へ!稀代の帝王・後醍醐天皇ゆかりの地

歴史には権力争いとその混乱がつきないが、日本でも朝廷が二つに分裂した時代があった。それが後醍醐天皇と足利尊氏が対立した南北朝時代。政権を手中におさめるために鎌倉幕府を討伐した後醍醐天皇だが、かつては味方であった足利尊氏に裏切られ、奈良県の吉野に退いて南朝を開いた。自ら変革に挑み、新たな世界をつかもうとした後醍醐天皇。その数奇な運命を知ることができる場所が今もなお残る。

京都府南部にある笠置(かさぎ)寺は、2度目の討幕計画が露見した果てに、後醍醐天皇がたどり着いた地。攻め入る幕府側に巨大な石を投げて応戦したというだけあり、境内にはいまも多くの巨岩、奇石が残る。

12メートルの巨大な岩肌に刻まれた笠置寺の虚空蔵磨崖仏

さらに南朝の舞台となった吉野山にもゆかりの寺社が点在する。修験道の大本山、(きん)()山寺(せんじ)境内には南朝3代の歴史が続く吉野朝宮址の石碑があり、行宮(あんぐう)とされていた吉水神社(旧吉水院)では後醍醐天皇を祭神として祭る。また吉野山中腹には京都方面を望む後醍醐天皇の陵墓が静かにたたずむ。

金峯山寺の木造釈迦如来坐像

一方、京都屈指の景勝地の嵐山にある天龍寺も、後醍醐天皇の菩提を弔うために1339年に建立された名刹だ。

天龍寺最大の建物である大方丈。夢窓疎石作庭の池泉回遊式庭園を望む

開基は足利尊氏。禅僧、()(そう)()(せき)が敵味方もない「(おん)(しん)平等」の教えを尊氏に説き、造成に至ったのだという。後醍醐天皇の像を祭る多宝殿は、亀山上皇が離宮を営んだ際に後醍醐天皇の学問所があった地だとか。崩御するまで望郷の念にかられていた後醍醐天皇だが、その御霊は皮肉にも尊氏の手によって京都へと戻ることができた。

旅行読売
(2021年6月号より転載)