ここからしか見えない京都
  

千年以上の崇敬集める聖徳太子ゆかりの地

遣隋使派遣や冠位十二階、十七条憲法の制定など、飛鳥時代に日本の政治の礎を築いた聖徳太子。当時の中央集権は奈良にあったが、信仰心に篤く、生涯、仏教の信仰、興隆に努めた太子ゆかりの地は京都にも存在している。

中京区の六角堂は聖徳太子が自らの念持仏(ねんじぶつ)(身辺に置いて礼拝するための仏像)を安置するために建立したと伝わる。

古くから「六角さん」の呼び名で親しまれる頂法寺は、縁結びや恋愛成就の信仰が厚い

正式名称は紫雲山頂法寺。また、この寺は「いけばな発祥の地」としても知られている。念持仏を本尊にするため、太子は家臣の小野妹子に住職として寺を守るように命じた。妹子は池の傍らに坊舎を建て、朝に夕にと仏前に添えた。これが今日の華道家元、池坊の始まりだという。

紫式部の邸宅跡に建つ()(ざん)寺では、太子ゆかりの仏像を安置する。廬山寺は比叡山延暦寺中興の祖、良源((がん)三大師(ざんだいし))が創建した寺。良源はその業績や敏腕ぶりから中世以降、霊験者と崇拝され、疫病神の厄災から逃れられると民間信仰を集めた。コロナ禍の今も疫病除けの護符を求め、多くの参拝客が足を運ぶ。

下京区にある佛光寺の聖徳太子立像は鎌倉時代、中興の祖である了源作。太子16歳の姿といわれ、両耳付近の髪を()()()に結い、袈裟と横被(おうひ)をまとう。きりりとした顔立ちは太子の聡明さをうかがわせる。

『日本書紀』によれば太子が亡くなったのは622年で、2021年は1400回忌にあたる。1000年以上の長きにわたり、日本人の心に刻まれた聖徳太子の歴史を、ここ京都でもかいま見るができる。

佛光寺の本堂と大師堂。本瓦葺きの巨大な木造建築は圧巻
現存する太子像のなかでも最高傑作といわれる佛光寺の聖徳太子立像

【放送時間】
京都浪漫 悠久の物語
「京都に残る聖徳太子ゆかりの地~六角堂・廬山寺・佛光寺~」
2021年9月20日(月) よる8時~8時53分
BS11(イレブン)にて放送

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