ここからしか見えない京都
  

町衆文化人、光悦と宗達の足跡を訪ねる

戦乱の世がようやく終わりに近づいた江戸時代初期、社会・経済に新しいエネルギーがみなぎり始めた。そんな頃に日本文化の拠点を作り上げたのが本阿弥(ほんあみ)光悦(こうえつ)だ。

光悦は刀剣の鑑定や磨研、浄拭(じょうしょく)を家業とする本阿弥光二の長男として生まれた。書、陶芸、絵画、工芸、作庭、茶の湯などに優れ、マルチアーティストとして活躍した人物だ。徳川家康に与えられた京都北西部の(たかが)(みね)の地に、町衆の文化人や職人、芸術家たちを集め、芸術村(光悦村)を築いたことでも知られる。本阿弥家の先祖供養のため屋敷近くに建立した位牌堂は、光悦の死後、日蓮宗の光悦寺となった。芸術文化の拠点だったことから、境内には大虚庵など7つの茶室が散在する。

文化、芸術の拠点となった鷹峯の地に建つ光悦寺。境内の茶室は大正時代の建築

しかし、なによりも素晴らしいのは、庭園からの眺めだろう。鷹峯三山を借景に、遠くには東山三十六峰の山並みを見渡すことができる。ゆっくり散策しながら、往時に思いを馳せてみたい。境内には光悦や養子の光瑳(こうさ)、孫の(こう)()の三代の墓が立つ。

光悦が見出した創作のパートナーが、“謎の絵師”と呼ばれた俵屋宗達だ。二人は1602年(慶長7年)から15年余り、合作を作り続けたという。現在、京都国立博物館に収蔵されている国宝「風神雷神図」がことに有名だ。豊臣秀吉の側室である淀殿の願いで、父・浅井長政の菩提を弔うために秀吉が創建した養源院には、宗達の障壁画や杉戸絵が多数所蔵されている。

養源院は一度焼失したが、淀殿の妹・お江が再建し、以来、徳川家の菩提所となった

まず本堂の玄関を入ると躍動感あふれる「唐獅子」の杉戸絵が迎えてくれる。裏側には「波と麒麟」が描かれているので、こちらもぜひチェックしてほしい。さらに廊下を挟んだ向こうには、「白象」を描いた大迫力の杉戸絵が立つ。ダイナミックな筆遣いと構図だが、左の子象を右の母象が振り返る様子は、どこか親しみやすく、優しい雰囲気をかもし出している。いずれも通常の拝観で鑑賞できる。

杉戸いっぱいに描かれたダイナミックな白象

制作著作:KBS京都 / BS11

【放送時間】
京都浪漫 悠久の物語
「したたかな京都人? 光悦と宗達~光悦寺・養源院」
2023年3月6日(月) よる8時~8時53分
BS11(イレブン)にて放送

旅行読売
(2023年4月号より転載)

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